「プロにならなければ」笠柳翼が欧州挑戦へ至った原点。長崎の翼、世界へ
今夏、V・ファーレン長崎からベルギー2部のパトロ・アイスデン・マースメヘレンへ期限付き移籍を果たしたドリブラー、笠柳翼。2025シーズン最終節のJ1昇格を決める同点弾アシストなど、J2で80試合8得点15アシスト、J1百年構想リーグでも14試合に出場した22歳が、新たなステージへと飛び立った。その原動力はどこにあるのか。移籍発表の約1か月前、長崎市内で開かれた個人イベント後に本人と兄・翔、母親へのインタビューから浮かび上がったのは、幼少期から培われた負けず嫌いな魂と、周囲への深い思いやりだった。
「これまでのサッカーキャリアに挫折はない」。そう語る笠柳の目に迷いはない。神奈川県で生まれ育った彼は、兄・翔の影響でサッカーを始めた。幼い頃から気が強く、買い物で欲しいものがあると店で駄々をこねるほどだったという。その負けず嫌いはそのままサッカーへと向かい、自宅では柔らかいボールを使い、父親と徹底的に左足を磨いた。母親からは「挨拶をきちんとしなさい」と共に「自分の意見をきちんと言いなさい」と教えられ、それは現在の礼儀正しく自分の考えをしっかり伝える姿勢に生きている。
プロを意識したのは横浜FCジュニアユース時代。トップチームの選手を間近で見て「少しずつ芽生えた」という。そして、その思いが確固たるものになったのが前橋育英高校への進学時だ。親元を離れ寮生活を始めるにあたり、こう覚悟を決めた。「僕だけが悲しむのではなく、お父さん、お母さん含めて悲しいだろうなと思ったときに、プロにならなければならないと強く思った」。この瞬間から、彼の人生は「プロになる」という軸で回り始める。
周囲の友人たちが映画に誘っても練習を優先し、自主練を終えてから1人で遅れてご飯を食べる日々。「もちろんそれは辛かったです。みんなと一緒にご飯を食べたいですけど、それよりも大きな夢が勝りました」。この孤高の努力が、のちにV・ファーレン長崎からのオファーを引き寄せる。
サッカー選手になってほしいとは思っていなかったという母親は「すっごく一生懸命応援していたけど、大学に行ってもいいのでは、というのはすごくあった。でも、あれだけ応援していたのに、やめなさいと急に手のひらは返せない」と複雑な胸の内を明かす。そんな家族の思いを背負い、高卒でプロの世界へ飛び込んだ。
兄の翔は弟を「努力の天才」と評する。兄はサッカー選手にはならなかったものの、若くして起業し、選手の才能を世界レベルへ押し上げるプロジェクト「TNK United」を立ち上げ、笠柳を全面的に支援している。「一番良いところは大胆さと努力し続けられるところ。サッカーIQやテクニックよりも、精神力や積み上げていける力が他の人より優れている」と分析する。
長崎での4年間を「気持ちの部分が1番大きかった。誰よりも上手くなりたい、もっと上に行きたいという気持ちが僕を焚き付けてきた」と振り返る笠柳。移籍先のベルギー2部で背負う背番号は10。期待は大きいが、彼の姿勢は変わらない。「まだまだもっとできる、上に行きたいと思っているので、この気持ちは忘れずに日々ハードワークできたら」。
長崎の翼は、今、海を越える。両親と兄、そしてTNK Unitedの仲間たちの思いを乗せて、ベルギーという個の力が評価される地で、自らの打開力を存分に発揮する時だ。ファンとの交流も欠かさず、その声を力に変えてきた男の、新たな挑戦が幕を開ける。
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